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2017年7月 9日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 4-2&3 書状は発給者控えか?/書状は発給されたか?

 論文においては、かつて安城市史が長文版を短文版からの改作と言っていた事を改めて、短文版が長文版からの省略版であると述べております。

〇論文より引用(※印は拙稿による補注)
このことからすると、いったんは草案として三河情勢に触れた氏康書状B(※長文版)が作成されたものの、こうした明白な支持表明を与えることが、後日において織田への負い目、あるいはこれを今川が知る事態となった際には今川への負い目となることが危惧され、三河情勢への言及をすべて削除した簡潔な氏康書状A(※短文版)が作成されたという推定が導かれる。

 この指摘については、すでに述べた長文版の文書解釈が近々、つまり未来の信秀の三河侵攻(恐らくは第二次小豆坂合戦を指す)に支持を与えたとするまでの解釈は出来ない点と、長文版と短文版では宛先として想定された織田信秀の立場が異なっている点を鑑みれば、単純な字句抹消とは言えません。もちろん氏康が書状を大げさにしたくないから尾張太守に見せるべく書かれた書状を織田信秀個人宛てに格下げした想定も可能です。しかし、この書状が書かれた時点で織田信秀は尾張太守の意向に従って頼み勢した尾張兵を三河に駐留させております。なので、格を落とした短文版の作成という想定は成り立ちにくいのではないのでしょうか。

 

②古証文の掲載元は発給者控えか?

 そして次の論点に入ります。論文は以下の根拠から古証文に掲載書状の引用元は北条家で保管されていた控えであると言います。

〇論文より引用(※印は拙稿による補注)
 両文書が一つの書「古証文」に並べて収録されているという事実は、両文書が同一の場所で採録されたと
想定すべきである。すなわち両文書が、元々北条氏の元に残されて伝来した控えであった蓋然性をこそ
氏康B書状
(※長文版)は後代創作と想定するのに数倍して考慮すべきである。

 私自身古文書の判読は素人なので、純粋に判らないことであり、教えも請いたい部分なのですが、現代社会でサラリーマンをしていて契約書などを扱っていると、この記述にはどうにも違和感を感じざるを得ないのです。

〇短文版氏康署名  氏康 在判
Photo


〇長文版氏康署名  氏康 在判
Photo_3

 着目したいのはこの氏康の署名の後の「在判」と書かれた部分です。古証文は書状の書式をそのまま手書きで写し取って編纂されているらしく、印判が押されている書状にはその印判の形状が模写されております。

〇十二月十六日付一色式部少輔宛織田弾正忠署名
Photo_4


 もちろん、印判や花押が据わっていない書状も収録されているのですが、現代社会における契約書管理において、社印や職印の据わっている文書は正式に発行された有効な文書であることを示します。逆に控えには署名部分に社印や職印は押さず、上部に控印を押して保管します。「在判」と書かれた部分が手書きなので、書写が重ねられて印判部分が略記されたのか、最初から在判と書かれて保管されていたのかはわかりませんが、「判在り」と書かれている以上、元書状の本紙に印判が押されていたことは確かでしょう。

 古証文の引用元が北条家伝来のものである可能性については否定するものではありませんが、短文版・長文版のいずれも書状も署名に「在判」の字句があり、書状の宛先が「織田弾正忠殿」である以上、引用元の書状が織田家から伝えられたものである可能性もまた北条家からの由来説と等しく存在すると思います。
 そして、いずれの署名も「在判」という字句があることは、次の論点に一つの反証を与える事にもつながります。

 

③ 北条氏康書状は織田信秀の元に届いたか?

 論文は以下のロジックで実際に書状は発給されなかったのではないかと述べております。

〇論文より引用(引用1)
「茲に因りかの国(に)相詰らるの由承り候、余儀無き題目に候」はあきらかに、信秀が予定している近々の三河侵攻に対する明白な支持表明となっている。

〇論文より引用(引用2)(※印は拙稿による補注)
このことからすると、いったんは草案として三河情報にふれた氏康B書状(※長文版)が作成されたものの、こうした明白な支持表明を与えることが、後日において織田への負い目、あるいはこれを今川が知る事態となった際には今川への負い目となることが危惧され、三河情勢への言及をすべて削除した簡潔な氏康A書状(※短文版)が作成されたという推定が導かれる。

〇論文より引用(引用3)(※印は拙稿による補注)
すると三河情勢を述べている氏康書状B書状(※長文版)は実際発給されなかった文書という事になる(氏康A書状(※短文版)もまた結局のところ、届けられなかった可能性がある)。

(引用1)については、前稿にて書状は別に「近々の=(未来の)三河侵攻」について支持しているわけではなく、北条氏康が織田信秀の現時点における状況への認識を追認しているにすぎない旨、記しました。

(引用2)についても、前稿にて両方の書状において、織田信秀の立場に関する氏康側の態度を示す書式礼が違っている旨記しています。短文版が尾張太守の陪臣の陪臣への書状であり、長文版が尾張太守の取次への返書であるなら、同日同日人宛て文書発給もありうるのではないかと示しました。

 そして、(引用3)です。ここは本稿にて短文版・長文版の両方に「在判」と印判が押されたことを示す字句が存在する旨、指摘しました。これが意味するところは、長文版もまた、正式に文書として発給されたという事を示すのではないでしょうか。両書状とも届けられなかったとすれば、わざわざ署名に印判を押したものを手元に置いている理由もわからなくなってしまいます。

 戦国時代の文書管理の作法は知るべくもないのですが、現代人の感覚で見るならこの北条氏康書状については、「在判」なる字句がある故に実際に発給されたものであるように思えます。

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