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2017年7月30日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 5-1 ⑤検証:安城城天文九年攻落説(寺院過去帳の検証)

 本稿では大樹寺をはじめとする寺院過去帳の信憑性につき、検証したいと思います。そのために、まずは松平広忠家臣の林藤助の過去帳から着手いたします。

〇古文書物目録 過去帳抜書(大樹寺文書)安城市史5 資料編 古代・中世より引用(拙稿にて下線部付記)
(中略)「全忠院 文化十三年子年八月 依願院殿号授与」
明徹道光「大居士」林藤介「忠満」
     天文九年六月
「林肥後守忠英先祖四代目」

 林藤助の戒名は明徹道光(古文書物目録過去帳抜書(大樹寺文書))、明徹道光(大樹寺過去帳写(朝野旧聞ほう藁・岡崎東泉記))、釈道喜(上宮寺過去帳)と微妙に異なる表記になっております。上宮寺過去帳にも戒名が記されているということは本来の宗旨は本願寺門徒であったとも言えるでしょう。上記史料で林藤助(藤介)は忠満という諱を持っていたことがわかります。ここから林忠満の家系を調べてみると子孫が上総国貝淵(請西)藩主になっております。

三河 林氏
小笠原宗康――林政家―(四代略)―忠満――忠時――忠政(家康旗本)―(七代略)―忠英(貝淵藩主)

〇寛政重修諸家譜 国立公文書館デジタルアーカイブより引用(拙稿にて下線部付記)
 某
 藤五郎、藤八郎、藤助
 今の呈譜は〇〇政通のち縁正・忠満に作報

(中略)
九年六月六日織田信秀が兵と戦ひ安城にをいて討死す 法名道見

 そこから寛政譜を調べてみるとこの林藤助は別名藤五郎・藤八郎という通名でも呼ばれていたことがわかります。そして林藤五郎という人物の事績を調べてみるに、天文十七年の小豆坂合戦に参戦して討死していたことが安城市史資料編掲載の松平記に記されているわけです。

〇松平記 巻一 安城市史5 資料編 古代・中世より引用(拙稿にて下線部付記)
一天文十七年三月十九日、尾州衆岡崎をとらんと、
 安定の城に弾正着て、先手を以って押来る、
 (中略)
 敵もニの備にて、もり返し、岡崎衆
林藤五郎
 小林源之助を初として、よき者あまた討死也

 林忠満の最期が安城合戦なのか、小豆坂合戦であるのか二通りの解釈が生じることになりました。もちろん、同名異人の可能性はあります。松平記の成立は慶長年間であり、今まで引用してきたどの系図史料よりも古い事を考えるならば、その記述は根拠なく否定することは難しいでしょう。

 次に大樹寺過去帳に天文九年六月の安城合戦における戦死者として記されている松平一門衆の立場を家系図で示します。信康は系図史料上には現れず、朝野旧聞ほう藁に広忠(もしくは清康)の弟として寺院過去帳の注記に示されている人物です。

Photo


 上記家系図の赤字が寺院過去帳の松平一門衆の戦死者です。青字が安城合戦で生き残った一門衆です。安城で戦死した一門衆はいずれも絶家していて直系の子孫が残っておりません。それは天文十一年の小豆坂合戦に参加して戦死した松平郷松平家の伝十郎についても同じことが言えます。それに対して安城合戦に参加して生き残った五井松平家と藤井松平家はともに寛永諸家系図伝が編纂された時以降も存続しています。

 しかも藤井松平利長譜に記されている天文九年六月九日安城合戦の様相は異様です。織田勢が大軍で城を囲む中、城主と援軍大将が無勢にもかかわらず、ともに城外で戦いを挑んで討ち取られ、城に逃げ戻った生き残りが城門を守って落城を逃れたのです。しかも戦死した安城松平長家、矢田松平康忠、松平源次郎信康の三名(あるいは小豆坂合戦で戦死した松平郷松平伝十郎を含めて四人)はそれぞれに世代を異にしています。戦術的に脳筋というか、展開にリアリティが感じられない記述です。

 以上の点を鑑みると、寺院過去帳は没年が判らない一門衆をまとめて過去にあった合戦の戦死者に無理やりはめ込んだ可能性を考えるべきではないかと思います。そもそも天文九年に安城城主松平長家が本当に討死にしていて、その時に安城城が落ちていないのなら松平広忠が後任の安城城主を据えなかったはずはなく、本当の落城時にその城主の名が残っているはずです。広忠が後任安城城主を据えていないとすれば、安城落城時の安城城主は松平長家であり、落城年次が間違っている可能性をも考えてもよいのではないでしょうか。
 次稿ではそれがどのような経過で行われた物かを考察いたします。

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