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2017年8月20日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 第6節の論点抽出:仮説は史実に矛盾していないだろうか?

 本稿は論文第6節松平広忠降参情報の信憑性について考察するものです。

 論文中のこの節は今まで論文が「証明」してきた論点を用いて、それが実際の史実にどのように反映しうるかについて言及しています。このような進め方をする目的は、日覚と北条氏康の書状が「岡崎に衝撃的な攻勢」をかけたと言っているのはほぼ確実であるが、その情報源は織田信秀であるので、彼の言い分が史実に即しているかどうかを検証したいとのことです。

 ここまでの考察で私自身、論文が提示している根拠については、反証を挙げ、別解を示してきました。なのでここまでの論文が論証したとする「史実」で何らかの証明が提示されても、こちらはその反証根拠を既に記述した論点から挙げることは可能であるかもしれません。
 ただ、それは私自身か以前の稿で示したことの繰り返しになるので、繰り返しはできるだけ避けたいと思います。同時に別角度からの論文の検証を続けてゆきます。そして私自身もここまで別解を出してきておりますので、それらがどの程度史実に反映しうるのかをついでに考えてゆきたいと思います。

  まず論文は、これまでの研究で明らかになっている天文十六年九月上旬までの織田・今川の動きについて、既に言及された事項を含め、以下の出来事を列記しておりますので、(1)論文のロジックに本当にあっているか?(2)別解を導けないか?について考察をしたいと思います。

 天文十二年以前_________安城城攻落(6-1)
 天文十三年__九月_______織田、美濃斎藤氏を攻めて大敗(6-2)
 ___同年閏十一月_______織田、松平広忠の臣阿部大蔵、尾三国境に出陣
 天文十四年___________安城清縄手の戦い(6-3)
 天文十五年_十一月_______今川、今橋城の戸田宣成を攻める。(6-4)
 天文十六年__六月_十三日以前_今川、今橋を入手する。
 ___同年__七月__八日以前_今川、医王山に砦普請を終える。(6-5 ①)
 ________________⇒広忠救援のためのものか。
 ___同年__九月__五日___今川、田原城の戸田堯光を攻める。(6-6)
 ________________⇒この攻撃は今川にとって想定外のものだった


 その後の展開として論文はさらに以下の事項も追加しております。

 天文十六年___________織田信長初陣で吉良大浜を焼討(信長公記)(6-7)
 ________________⇒吉法師の大浜攻撃は、岡崎に連動と想定。
 ___同年__九月二十八日___渡河原合戦(6-8)
 ________________⇒隙をついて復帰か、降参していないのか?
 ___同年_十_月二十_日___松平広忠、松平忠倫暗殺の功により筧重忠に感状発給。
 ________________⇒広忠の心が反織田の態度を肯定する立場を示すもの。
 ___同年_十二月__五日___松平広忠、松平清康の十三回忌供養に大樹寺へ寄進。
 ________________⇒この時点で松平広忠が岡崎に健在であったことは間違いない。

 上記の論考により、天文十六年九月上旬に岡崎城が織田の攻撃にさらされたことは間違いないとのことですが、その後の松平広忠の行動については、次のようなことが指摘されてます。

〇論文より引用
 しかし、織田が岡崎を攻落したとまで断定することはできず、仮に広忠が降参したとしても、信秀が三河から退去してほどなく岡崎城主としての地位を回復したとみる。但し、岡崎城主としての地位を回復することと、外に向かって反織田の旗幟を鮮明にすることとが、この時点で必ず連動するとは限らない。

 要約するなら、松平広忠の史実における行動は日覚・氏康書状の中で織田信秀からの話として語られる論文解釈とはかけ離れている(6-9)ということですね。

 この論点については、私自身の別解として、天文十六年八月上旬 第一次小豆坂合戦(6-5 ②)説を提示してみようと思います。

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