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2018年2月10日 (土)

中漠:晴天航路編⑫堺の避難所

 本稿においては天文法華乱後における法華宗の動向を取り上げてゆきたいと思います。
 大徳寺の堺進出と堺町衆との結託による影響力増大を説明するに当たり、その前段階としてその両者をつなぐ存在としての堺へ亡命した法華衆の動向を外すことは出来ないと考えたからです。
 それに当たって一点ご留意いただきたいことがあるのですが、本稿においては法流に沿って四条門流系とか、六条門流系という書き方をしていますが、それが必ずしも教義の類似性を示すものではありません。なんでわざわざこのようなことを書くかと言いますと、分派が出来上がる過程において、元の流派と教義や重宝等の扱いで師弟・兄弟弟子間での諍いがあったケースが多かったのです。分派にとってはその違いこそが彼らのアイデンティティに他ならず、単純に~門流系とひとくくりできないという事情があります。それを踏まえた上で本稿においてはわかりやすくするための便宜として、法華諸派を法流によって分類させていただきました。

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 大虐殺から生き残った法華宗徒達は堺に逃れたと言います。記事の末尾に、昭和五年に刊行された堺市史を参考として乱中乱後の洛中法華諸寺院の動向をまとめておきました。この動向を通して堺の町衆の動きを考察し、さらに珠光や紹鴎のように、浄土門徒や本願寺教団門徒であると同時に、大徳寺僧でもある両義的なありようを素描したいと考えております。ちなみに、堺市史は現在堺市のホームページの市立図書館コンテンツでデジタル化されたものが公開されております。以下リンクでたどり着けますが、堺市史で検索すれば当該ページが引っ掛かります。

 堺市ホームページ>子育て・教育>堺市立図書館>地域資料>デジタル堺史について>堺市中央図書館堺市史

 洛中法華は二十一ヶ寺と過去に書きましたが、実際には天文年間までに脱落していた寺が三つばかりあります。四条門流系の弘経寺、本覚寺などです。天文乱が始まる前に弘経寺は妙顕寺に、本覚寺は妙覚寺に吸収併合されてしまいました。身延門流の学養寺も同門の妙伝寺に併合されております。また、六条門流系の宝国寺のように、大本山の寺域に組み込まれてしまったために、洛中法華二十一ヶ寺の一つではあったにもかかわらず復興しても本山を名乗れなくなった例もあります。

 その他の門流は一部例外を除いて、概ね天文年間までに堺に拠点を持っておりました。但し、堺市史において明確に本寺を移したと記載されているのは、六条門流の本国寺が成就寺に、日什門流の妙満寺が堺妙満寺を使ったことが明記されていますが、その他も同様のことであったでしょう。
 前稿でふれました武野紹鴎の弟子辻玄哉は京を拠点とした本国寺の大旦那でしたが、堺の辻家に養子に入った人物であるそうです。おそらくはですが、本国寺の成就寺利用に関しては堺に実家のある辻玄哉の働きがあったものと推察します。この辻玄哉は茶人として武野紹鴎から相伝の小壺を受け継ぎ、それを利休に伝えた人物でもあります。

 四条門流の妙顕寺は堺に妙法寺という末寺を持っておりましたが、一時さびれていたらしく、天文年中に再興されたと言う記載がありますが、この再興の理由は本寺の妙顕寺が堺に亡命してきて落ち着き先を確保するために寺を再整備したものと考えられます。

>後天文年中革屋道賀の一族、石津屋宗榮(塔頭報恩坊の檀越)の一門、北向道陳(塔頭圓輪坊の檀越)
>及び京屋道壽等之を再興し

 それだけではなく、着目すべきは再興を手掛けた旦那衆の面々で、筆頭に書かれている革屋道賀は武野紹鴎と同じ読みのかわやの屋号を持っております。北向道陳の屋号も皮屋であり、武野紹鴎が属した皮屋は堺でもある程度の規模を持った商人集団であったことがわかります。ちなみに、北向道陳は千利休が最初に学んだ茶の湯の師匠であったことで知られております。千利休の茶の師匠である北向道陳、辻玄哉はいずれも法華宗徒であり、茶は京や堺の町衆法華宗徒においても盛んであったということでありましょう。

 1542年(天文十一年)、後奈良天皇が洛中法華一揆の赦免の宣旨を出したことが、還住のきっかけになりますが、これに先駆けて復帰していた寺が三寺ありました。うち二つは六条門流系の本満寺、本禅寺と身延門流系の妙伝寺です。本満寺は太閤(引退した関白のこと)近衛尚通の手引きで1539年(天文八年)に復帰。本禅寺はその翌年に復帰しました。本禅寺の場合は越中の菩提心院にいた日覚が本禅寺・越後本成寺の長老として復帰に尽力していた形跡が伺える書状があります。残りの一つは身延門流(日向門流)の妙伝寺です。読みもらしもあるかもしれないのですが、これらの寺院は堺市史に末寺の記載を確認できませんでした。十全な考察ではありませんが、堺に拠点がないことが京への復帰を急がせた側面があったかもしれません。

 洛中復帰時に二つの寺院を一つにして復興したケースもあります。日尊門流(富士門流系)の住本寺と上行院は堺に逃れましたが、復帰時にこの二寺は合併して要法寺と寺名を変えております。
 一部帰洛年次が未詳なものも含まれていますが、概ね天文年間中に洛中還住を果たした本山は以下の十四寺院となります。

本国寺、本満寺、本禅寺、妙顕寺、妙覚寺、立本寺、本隆寺、本能寺、妙蓮寺、頂妙寺、本法寺、要法寺、妙満寺、妙伝寺

 これに1578年(天正六年)に建立された寂光寺と、1308年(延慶元年)建立されたものの、1599年(慶長四年)に洛中に復帰した青柳本門寺(後の宥清寺)を含めて江戸期には洛中十六本山と称されるようになりました。
 青柳本門寺は日蓮直弟子の日弁が藤原定家の子孫を折伏して、その邸宅を法華寺としたのが濫觴であり、その活動は日像よりも早かったらしいのですが、これがやりすぎと反感を買って日弁は暗殺されてしまいます。寺院自体は応仁の乱まで存続していたらしいのですが、なぜか二十一本山には数えられていませんでした。

 まだまだ堺の法華宗徒の動きに関しては概略しかつかめていませんが、京の寺社を含めた京の富裕層が堺に避難し、それが再び洛中に復帰することによって京と堺の町衆に強固なネットワークが構築されたとみてよいかと思われます。それが後々、堺に所縁の深い三好家の躍進につながったのではないかと、想像しております。

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洛中法華二十一箇寺の避難先

■六条門流系統
本国寺 六条門流 成就寺に本山を移す。1547年(天文十六年)帰洛。(十六本山)
   成就寺 1406年(応永十三年)建立。
   本教寺 1430年(永享十二年)建立
   本光寺 1450年(宝徳 元年)建立
   圓明寺 1479年(文明十一年)建立

本満寺 六条門流分派 1539年(天文 八年)近衛尚通の手引きで帰洛。※後奈良天皇綸旨発令前。(十六本山)
   本要寺 1451年(宝徳二年)以前建立

宝国寺 六条門流分派 1492年-1501年(明応年間)中に本寺寺域内に移転。

本禅寺 陣門流 1540年(天文 九年)帰洛して伽藍を再建。※後奈良天皇綸旨発令前。(十六本山)

■四条門流系統
妙顕寺 四条門流 1548年(天文十七年)帰洛。(十六本山)
   妙法寺 1345年(貞和 元年)建立。天文年中再興。
   妙慶寺 1501年(文亀 元年)建立

妙覚寺 四条門流分派 1548年(天文十七年)帰洛。(十六本山)
   興覺寺 創建年未詳
   經王寺 1429年(永享 元年)建立

立本寺 四条門流分派 1544年(天文十三年)帰洛。(十六本山)
   櫛笥寺 1492年(明応 元年)建立

大妙寺 四条門流分派 1594年(文禄 三年)豊臣秀吉の命で妙顕寺寺域内に再建。

弘経寺 四条門流分派 天文乱以前に洛外へ移転
   弘経寺 永享元年に寺基を堺に移し、のち妙顕寺末に。

本覚寺 四条門流分派 1466年(文正 元年)妙覚寺に吸収合併。

本隆寺 真門流 1542年(天文十一年)帰洛。(十六本山)
   調御寺 1412年(応永十九年)建立

本能寺 本門流 1537-38年(天文十六~十七年)帰洛。(十六本山)
   顯本寺 1429年-1444年(永享嘉吉年間)建立
   眞如庵 1521年(大永 元年)建立
   本受寺 1461年(寛正 二年)建立

妙蓮寺 本門八品門流 1542年(天文十一年)帰洛。(十六本山)
   法華寺 1397年(応永 四年)以前に建立。

■日常門流系
頂妙寺 日常門流 1542年(天文十一年)帰洛。(十六本山)
   月藏寺 1495年(明応 四年)建立

本法寺 日常門流 帰洛年未詳。(十六本山)
   本成寺 1444年(文安 元年)建立

■日尊門流系(富士門流からの分派)
住本寺 日尊門流 住本寺、上行院が合併し要法寺として帰洛。(十六本山)
上行院 日尊門流(富士門流分派)

■日什門流系
妙満寺 日什門流 帰洛年未詳(十六本山)
   妙満寺(照光寺)1512年(永正 九年)に建立。

妙泉寺 日什門流 1575年(天正 三年)に再興される。

■身延門流系(日向門流系)
妙伝寺 身延門流 1541年(天文十 年)帰洛。(十六本山)

学養寺 身延門流 詳細未詳。妙伝寺に吸収されたと言う。

■その他十六本山
寂光寺 1576年(天正六年)建立。(十六本山)

宥清寺 1308年(延慶元年)建立 応仁の乱時丹波亀山に避難。1599年(慶長四年)に洛中に復帰。(十六本山)

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