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2018年5月 5日 (土)

中漠:晴天航路編㉔愛される三好のために

 細川晴元と三好長慶の対立の根は相当深いものでした。そもそもを説き起こせば、曾祖父に当たる三好之長が応仁の乱の折に京で土一揆を起こしたことに起因します。何年にも及ぶ長期の在陣で心がすさんでいたこともあり、部下を慰撫して士気を高める為に、部隊長の彼としては何かしなければならなかった訳です。そうしなければ主君阿波細川成之への忠義を果たすこともかなわないでしょう。ただ、その手段として京の土蔵を襲うことを選んだのが間違いでした。京に駐留する他の連中もやっているという弁解が残されていますが、言い訳以外の何物でもありません。ここで京の町衆から札付きの悪党というレッテルが張られてしまいました。

 後になってそんな彼を改めて見出したのが、細川政元でした。彼は三好之長を赤澤澤蔵軒宗益と組ませて大和と河内を平らげさせました。三好之長としては幼君細川澄元とその養父政元の為に実直に命令を遂行した訳でしたが、彼と組んだ赤澤宗益は三好之長以上の悪評の持ち主です。彼は勝利の為であれば寺社仏閣を躊躇なく破壊するという中世人離れした価値観の持ち主でした。そんな訳で寺社仏閣が山のようにある大和や河内平定が三好之長の悪評を覆すに至らなかったことは想像に難くありません。しかもその直後細川政元は暗殺され、彼の養子高国が宗家を乗っ取って澄元は排除されてしまいます。細川政元に弾圧された寺社仏閣は因果応報と囃し立てました。その片棒を担いていたのが之長です。

 さらに之長と三好党は排除された澄元の為に京の奪還戦を三度試みました。細川高国や京の町衆にとって三好之長の名は略奪者、寺社仏閣の破壊者細川政元の片棒担ぎに加えて、京を執拗に狙う侵略者という肩書きがつきました。細川高国は京と将軍を防衛する為に三好之長を悪鬼羅刹のように喧伝したことは想像に難くありません。三好之長はいいところまで行くのですが、最後に敗れ、捕虜になったうえで処刑されてしまいます。細川高国にとっては、長く続いた京都防衛戦における目に見える勝利の象徴でした。しかも、間の悪いことにその直後に彼の主君である足利義稙が三好家の根拠地の阿波へ出奔してしまいました。細川高国は播磨で拘留されていた足利義晴を新たな主君として奉じましたが、高国を管領職につけたのは足利義稙であったので、その正統性は大きく揺らいでしまいます。その為、細川高国は必要以上に三好家と阿波を悪魔化して喧伝せざるを得ませんでした。

 その悪評の犠牲になったのが三好元長でした。祖父之長が死んだのと同時に父長秀をはじめとする三好家重鎮も討たれていましたので、そういった悪評についての事情もよくわからないまま宗家を継承していたのです。足利義稙が連れてきた亀王丸と細川澄元の遺児六郎を新たに中心にすえ、再起を図る為に着々と力をためていたところに、機会がやってきました。細川高国が波多野稙長をはじめとする丹波国人衆と対立し、波多野稙長が阿波細川家に靡いてきたのでした。阿波細川家当主持隆はこれに応じて三好家に援軍を出すように命じました。その命に従い三好元長が先遣隊として送り出したのが一族の三好勝長と政長の兄弟です。彼らは桂川原で波多野・柳本軍に合流し、そのまま細川高国軍と衝突しました。世に言う桂川原の合戦です。この合戦で三好勝長は瀕死の重傷を負い、間もなく亡くなりました。この段階でおそらく三好政長は畿内において三好家がいかに嫌われているのかを知ります。三好政長はこの両者の間を取り持とうとするのですが、三好家分家の当主代行というその立場はあまりに弱いものでした。三好家当主の三好元長は政長を押しのけて第一線に出ます。三好勝長、政長兄弟は足利義維、細川六郎の上洛の為の露払いがその役目でした。その中に上洛に向けて現地勢力との折衝が含まれていたかも知れませんが、その役目は勝長に負わされていたのでしょう。三好元長は、その時点で政長は分家当主ではなく、上洛の地ならしに権限を持たない者では荷が重いと判断したと思われます。宗家当主に京を離れよと命じられれば、三好政長は京を去らざるを得ませんでした。政長は不満と不安を抱えながら堺に戻ります。

 その頃、堺に上陸した足利義維と細川六郎の帷幕の中に茨木長隆という摂津国人がいました。彼は畿内の事情をよく知るものとして三好元長がスカウトした人物ですが、その彼が一番初めに直面したのは、摂津・丹波国人衆と三好家との間の認識ギャップです。これは相当深刻なものでした。
 早い話、摂津・丹波の国衆が目指していることは自領の安堵でした。京を何度も脅かした悪魔のような三好家と組むのは、自分たちが追い出した細川高国の代理として六郎を迎えたかったことにつきます。三好家の認識としては、足利義稙が理想とした天下に号令する足利幕府の再興があったのですが、摂丹国衆としては義維・義晴で別れて戦争になることは避けたかったのです。三好政長と茨木長隆の問題意識はここで一致を見ます。それを何とかする為には、三好家当主の考え方を改めさせなければなりませんが、それには時間が必要でした。
 案の定三好元長は京で柳本賢治と対立します。京を治める為には細川高国が広めた悪名高い三好家の当主本人がやるには無理がありすぎました。政長としてはここで讒言をしてでも宗家当主に第一線を引かせることがより良い解であると判断したのでしょう。時間をかけて元長に時局をわきまえてもらう必要がありました。三好政長は茨木長隆、木澤長政と組んで三好元長の足を引っ張りにかかります。三好元長は京にいられなくなり、幕閣連中にも憤って阿波に引き上げます。

 三好政長から見れば、これは短慮でした。そのせいで細川高国が勢いづいて上洛戦を始めたのですから。幕府は三好元長を追い出す直接の原因となった柳本賢治にこれを迎え撃たせますが、あえなく敗北。京も占領されかける中、三好元長に泣きつきます。三好元長は気を取り直して細川高国を滅ぼしました。そして、京に上って柳本甚五郎を殺害するというまた同じことを繰り返してしまいます。これに激怒した摂丹河国人衆の中には足利義維に三好元長がついてくるなら、堺公方は要らない、朽木の足利義晴と和睦するという意見まで飛び出します。堺幕府の危機を感じた三好元長が畠山義堯とともにその過激派の一人河内の木澤長政を攻め、堺幕府分裂の危機が生じました。茨木長隆が先走って本願寺を動かし、三好元長と畠山義堯を討ち取りましたが、その後本願寺が暴走。三好政長は三好宗家の力が幕府の安定の為に不可欠であることを痛感します。その為には宗家をうまくコントロールしつつ使う必要がありました。

 一向一揆を三好家の力を使って治めた新幕府体制は、すったもんだの末に将軍に足利義晴、管領(正確には管領は名乗っていない)に細川晴元、それを支える六角定頼、波多野稙長、木澤長政、茨木長隆、三好政長らを中心とした体制になりました。三好政長は堺幕府成立時に元長が賜っていた河内十七箇所を領し、細川晴元の側近として使えることになります。そして、三好宗家当主三好千熊丸は西摂津瀬戸内沿いの越水を与えられます。政長の領地と比べ京からは遠く、細川家中では外様扱いでした。この扱いに不満を持った三好長慶(千熊丸)が上洛戦を仕掛けたことがありますが、細川晴元は京を逃げ出しまともに相手をしてくれませんでした。木澤長政や三好政長のとりなしで事なきを得たものの、細川晴元はこれで三好長慶を恐れるようになります。元々足利義維から義晴へ乗り換える時に茨木長隆や木澤長政らに三好の悪評を吹き込まれていたのでしょう。その折に三好元長の彼ら視点から見た「暴走」もいろいろ尾ひれをつけてあげつらわれてもいたのかも知れません。何より三好長慶の上洛騒動の折、京都の街は晴元自身が破壊していてほぼ廃墟な状況にありましたので、満足な防御態勢も敷けず、迎え撃てば確実に負ける情勢にあったのです。第一の破局はここにありました。

 それを取り繕ったのが細川持隆と三好政長でした。三好長慶の情に訴え、晴元政権の存続を同意させたのです。三好長慶は細川晴元が自分自身に対して直接命令を下すことに恐怖を感じていることを悟りました。細川晴元の政権存続に三好軍の力は不可欠です。しかし、同時に命令を下して背かれ、破滅することを恐れていました。だから三好に対する晴元のすべての命令は気心の知れた政長を通して行われました。これは時間をかければ解決するという期待がありました。だから政長も出家して宗三と名乗り、第一線を退いた立場になれば晴元も三好長慶を使うようになると考えたようですが、晴元が宗三を手放しませんでした。

 細川氏綱の反乱鎮定には三好軍の力が不可欠でした。今回は足利義晴までが氏綱方につきました。しかも、畿内の三好家だけではなく、四国の勢力の助力までかりだしていたのでした。四国・淡路から来た三好之虎や安宅冬康は細川晴元が三好家に抱く恐怖心に対する理解はありません。同時に晴元と政長は彼らの父を裏切った仇であるという思いも捨てきれていませんでした。三好宗三の勢力を強めて三好宗家と対抗させる手が裏目に出た時が、三好長慶にとって細川晴元に差し伸べた最後のチャンスでした。しかし、結局細川晴元は三好宗三を手放すことはできませんでした。三好長慶もまた、曾祖父や父のように畿内の人々に恐れられる三好家よりも、三好宗三がした「愛される三好」の為の努力を怠った訳ではありません。しかし、その努力は肝心の細川晴元に一切伝わっていなかったのです。
 残すところは戦争しかありませんでした。

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