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2020年1月 4日 (土)

中漠:善人令和編②聖者が京にやってきた


 前編では三好長慶が軍を率いて上洛し、室町将軍足利義晴・義藤(後の義輝)親子を京から追い出したところまで語りました。本編はその続きになりますが、本稿のタイトルが言う聖者とは三好長慶のことではありません。この頃一人の聖人が都を訪れていました。名をフランシスコ・ザビエルといいます。

 ザビエルは今のスペイン北東部、バスク地方出身の宣教師です。ザビエルの出生時、バスク地方はナバラ王国に支配されていましたが、ほどなく隣国のカスティーリャ・アラゴン王国に亡ぼされました。ザビエルの父は王国の宰相でしたが動乱の中で死にました。この時ナバラ国王はフランスに亡命しています。ザビエルの一族もフランス国王の庇護を受けた亡命貴族として遇されます。とはいえフランシスコは末子であり、若年だったのでパリ大学で哲学を勉強させてもらっていました。
 しかし、このパリ大学で出会った同郷のイグナチオ・デ・ロヨラの影響を受けて聖職者の道を志すようになります。ロヨラは同郷とはいえ、バスク回復戦を挑んだナバラ国王派に対してカスティーリャ方として戦って負傷し、除隊したという経歴の持ち主です。ロヨラは療養生活中にカトリックの教えを探求し、新たな宗教的境地に至ります。そしてパリ大学で知り合ったザビエルを含めた仲間にこれを広めてイエズス会という宗教結社を作りました。そしてロヨラはローマ教皇庁にイエズス会を修道会として認めるよう申請をしました。ロヨラの宗教的境地とそこに至るために考案された「霊操」という修行法は教皇庁にも肯定的に受け入れられ、三年後に教皇パウルス三世の認可を得ます。

 ロヨラの理想を大まかに記すと、神と教会を頂点とした軍隊的規律をもった宗教組織を作ることです。そして神への忠誠を呼び起こす手段として「霊操」という修行法を考案しました。「霊操」とはまず毎日異なるテーマを設定して黙想させ、司祭が信者の答えを吟味して信仰が誤った方向に行かないよう指導するという臨済宗の公案禅に近い方法です。ローマ教会はこの頃西欧で勃興してきたプロテスタントに頭を悩ませていました。免罪符という聖書にない集金手段の採用が批判されたためなのですが、それに比べれば「霊操」は健全な信仰心の涵養手段として受け入れやすいものでした。修道会として認められたイエズス会はロヨラの教えを世界中に広めることを画策します。

 ローマ教会がイエズス会を公認したことを知ったポルトガルの敬虔王ことジョアン三世はロヨラにアジア植民地人の教化を依頼します。目的は植民地支配にキリスト教を利用することでした。特に神への忠誠を求めるイエズス会の教義は都合がよかったのです。そこで派遣されたのがフランシスコ・ザビエルでした。ザビエルは当時ポルトガル領だったインドのゴアからマラッカに渡って信者を獲得してポルトガル王の期待に応えます。マラッカのポルトガル植民地で行った布教中に出会ったのが、ヤジロウという日本人でした。彼は薩摩出身で、人を殺した後、ポルトガル船に便乗してマラッカまで逃げてきたのでした。ザビエルはこの日本人の懺悔を聞く過程で、布教に適した地として日本を認識します。

 ザビエルはヤジロウを伴って鹿児島に上陸しました。しかし薩摩での布教ははかばかしくなく、肥前国平戸を経由して周防国山口に移ります。領主は大内義隆でしたが、ザビエルが男色を批判したせいで彼を怒らせてしまい、早々に京に向けて出発しました。瀬戸内航路で堺の豪商日比屋了珪と出会いその知己を得ます。彼は京都にいた商人仲間の小西隆佐に話をつけてくれて、ザビエルはようやく日本の首都京都にたどり着けました。京で天皇・将軍との会見を求めますが、この頃の京都は三好長慶に細川晴元と将軍親子が追放された直後でした。しかも、国主に会うのになぜかお土産を忘れる失態を犯しています。後奈良天皇がいる禁裏の敷居を超えるにはイエズス会流の清貧だけでは足りません。宗論を戦わせに延暦寺にも向かいますが、門前払いされてしまいます。失意のザビエルは平戸に戻るとそこで戦略を変え、自らの法衣を華美なものに変えました。そして再び山口に戻って大内義隆に欧州の文物を献上すると、大内義隆は手のひらを返してザビエルを歓待します。ここで五百人の信者を獲得して一応の満足を得たザビエルは同行していたコスメ・デ・トーレスに後事を託し、豊後の大友義鎮の招きにより府内で布教した後、日本を去ります。

 ザビエルの京における布教活動そのものはあまり実りあるものではありませんでしたが、ザビエルの日本行きによって作られた日本人とのコネクションは彼の後継者の大いなる助けとなります。堺衆日比屋了珪・小西隆佐らもそうですが、上洛した帰り道の山口で出会った名もなき半盲の琵琶法師、洗礼後の名のみが知られるロレンソ了斎がキリスト教の日本布教に重要な役割を果たすことになるのです。

 

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