« 中漠:善人令和編⑪細川晴元の逃亡 | トップページ | 中漠:善人令和編⑬贖罪の蓮淳Ⅰ »

2020年3月14日 (土)

中漠:善人令和編⑫本願寺系寺院還住問題

 ここで少し時代を戻して天文錯乱後の本願寺教団の動向について述べておきます。天文錯乱後の本願寺教団の課題は安全保障の確立に尽きました。山科本願寺は破却されて復興の見込みが立たない以上、本拠を石山に置き続けざるを得ませんでした。しかし、本願寺の実質的な指導者である蓮淳にとって、石山の地は本願寺教団の本拠地にふさわしい場所ではなかったのです。

 そもそも石山は蓮淳の父、蓮如が細川政元の要請に応えて河内にいる尾州畠山家の勢力を削ぐための拠点として選ばれた土地でした。そこに能登畠山家に仕えていた旧畠山宗家(畠山国清系)の血を引く蓮能を連れて布教活動を始めたわけです。石山は河内国を南北に貫く大和川水系の終着点にありました。蓮如は応仁の乱時に越前国吉崎に拠点を移して以降、治水と水郷開発力を教勢拡大のためのビジネスモデルとすることに成功します。これに蓮如自身の話術と蓮能が持つ畠山家の血筋の力で河内布教に注力したのでしたが、志半ばで蓮如は示寂します。

 間の悪いことにこの時、細川政元に味方していた総州畠山義豊が尾州畠山尚順に討たれており、細川政元の意を呈して河内で布教活動をしていた本願寺勢力は孤立してしまいます。ところが、尾州畠山尚順は総州畠山義豊の息子義英と和解。細川政元は自らの願望とは異なる河内の平和の形に激怒し、本願寺の実如に河内への派兵を命じます。しかし、石山の蓮能はこれを拒否しました。実如は実如で細川政元に加賀一揆の不始末を許してもらったという蓮如以来の大きな借りがありましたので蓮能の言い分をのめません。この対立は抜き差しならないところまできて、やむを得ず実如と蓮淳は下間頼慶を派遣して石山御坊の蓮能と息子たちを逮捕した上で処罰しました。ここで蓮淳は蓮能一党と河内門徒衆の恨みをかっていたのですね。

 そういった事情があったため、蓮淳はのちの天文錯乱で山科本願寺が焼かれた後に証如が拠点とした石山には帯同しなかったわけですが、他人任せでは事態は悪化する一方だったのでやむを得ず自ら石山入りしたのでした。そして有効な和議とするために、かなり教団側に無茶を強いました。継戦派の幹部を石山から追い出し、戦には負けるように戦争指導した上で降伏したのです。

 乱後の幕府での対本願寺窓口は河内国守護代木澤長政が担っておりました。一応守護として総州畠山在氏を戴いておりましたが、ぶっちゃけ傀儡です。その木澤に対する本願寺側の交渉相手は証如が務めました。この証如ですがネゴシエーターとしては意外な実力を発揮します。曽祖父の蓮如は一休宗純に匹敵する頭の回転の速さと話術で信者を獲得しましたが、証如は利害を異にする相手と友好関係を築き妥協を引き出すために使ったものは「酒」でした。清廉さを求められる仏教教団の指導者としてはいかがなものかと思われますが、悪人正機の世界観を持つ本願寺教団にあってはこれもありなのでしょう。証如はほろ酔い気分の木澤長政に大和国から追放された教団寺院の還住を求めると、酒で気分が大きくなったのか木澤長政は自分は大和国守護であると僭称して請け合った、と証如の日記に書かれています。

 証如による接待の翌年の1537年(天文六年)には本願寺教団寺院の大和還住を実現させます。越智氏は高取城を一向衆に襲われた被害者で、木澤長政からの還住要請には渋りまくっていたのですが、これを一喝して本願寺系寺院の再建を押し切ったのでした。

 ただし、この時点で木澤長政の本拠地のある河内国への本願寺教団寺院の還住問題については未決着でした。先の天文錯乱において河内国の国人衆は二分されました。本願寺を受け入れて国人衆が両属となり、法主の命令で再び城を攻められてはたまったものではありませんので、無理からぬ話であったと思います。

 それだけに敵に回せば厄介な部分もありますが、本願寺を味方にすると国内が潤うのです。本願寺教団は蓮如以来治水を得意としていました。彼らは川の中州に堤防を作ってそこを生活空間にしました。それによって今まで居住が難しかった地域に人を集めることができたのです。今まで使い途のなかった土地が農地に化けたりするのです。効果はそれだけではなく、川が自然の堀となって外敵の侵入も防ぎます。同時に川を使った流通も可能になるわけです。河内国はその国名が示す通り、大和川や淀川水系が縦横に流れ込む湿地帯でした。本願寺はこれをまるまる田地や物流拠点に変える力をもっていたのです。

 天文錯乱後の本願寺は武家勢力に対してひたすら恭順を示しておりましたが、それだけではなく彼らが河内に入ることで木澤長政らにいかなる利益がもたらされるかをアピールしたものと思われます。その結果、1538年(天文七年)に河内還住が認められました。河内国における寺院再興プロジェクトのリーダーとして現地に派遣されたのが蓮淳だったのです。

 

|

« 中漠:善人令和編⑪細川晴元の逃亡 | トップページ | 中漠:善人令和編⑬贖罪の蓮淳Ⅰ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 中漠:善人令和編⑪細川晴元の逃亡 | トップページ | 中漠:善人令和編⑬贖罪の蓮淳Ⅰ »